社長ブログ 私が社員のお昼ごはんを作る理由
坂井泉の社長ブログ
私が社員のお昼ごはんを作る理由
経営が楽しくない経営者
私はいま、宇奈月温泉の旅館「喜泉」の代表を務めています。
私の大切な仕事の一つが、社員のお昼ごはんをつくること。
こう言うと、できた社長だと思うかもしれませんが、旅館を継いだばかりの頃、私は仕事が少しも面白くありませんでした。
私は「喜泉」の後継ぎとして生まれました。しかし20代のとき、旅館とはまったく違う仕事がしたくて家を出ました。
でも、心の奥底にあったのは、「いつかは自分が旅館を継がなければならない」という使命感。27歳のとき、宇奈月温泉にUターンし、当時父が社長を務めていた「喜泉」で働き始めました。
そんなときに起こったのが、バブル崩壊です。じわりじわりと苦しくなる旅館の経営。財務の状況を見た銀行から、お金の流れについて問い詰められたこともあります。会社を守るために、上手にかわせば良かったのかもしれません。でもバカ正直な私は、銀行に洗いざらい内情を話してしまったのです。
銀行からは「これ以上融資はできない」と言われました。全員真っ青です。そんなことになれば、「喜泉」の存続が危うくなります。
「もう社長が代わるしかない」。
そうして私が、父からバトンを受け継ぎ、社長となったのです。
コロナで心のバランスを崩す
内情をすべて正直にオープンにしたことで、銀行との本当のお付き合いが始まりました。そこから7〜8年は、黒字経営が続きました。
事態が変わったのは、コロナ感染が広がった2020年です。
お客様がゼロになりました。3ヶ月間、旅館の休業を余儀なくされました。
思い返せば、あのときの私は、少し病んでいたと思います。旅館が大変であるにもかかわらず、登山やジョギングに没頭していました。何かしていなければ、おかしくなりそうだったからです。
そのときに出合ったのが、経営者の能力を開発研修です。苦しみから逃れたい、成功したい、だけど何のアイデアも浮かばない。そんな現状を何とかしたかったのです。
でも、研修を受けてもなお、私の苦しい状況は何も変わりませんでした。
社員の健康を守りたい
そんなとき、事件が起こりました。研修の最中、息子から突然電話がかかってきたのです。「すぐ帰ってきて」。妻が救急車で運ばれたという連絡でした。
妻が病院に運ばれたのは、それが初めてではありませんでした。一度目に運ばれたとき、私は別の研修を受けていたので、手術に立ち会いませんでした。でも二度目は、すぐに研修会場から引き返しました。
病院にやってきた私を見て、娘はこう言いました。「成長したね」。
一度目の手術のとき、研修を優先した私のことを、娘はよく思っていなかったのでしょう。でも今回は妻を優先した。だから「成長したね」と言ってくれたのだと思います。
ちょうどその頃、社員の一人ががんになりました。
「健康がすべてではない。でも、健康を失うとすべてを失う」
ふと見ると、社員たちは、お昼にカップラーメンや出来合いの弁当ばかり食べていました。
健康を守るために、栄養のある食事をとってもらいたい。あったかい手作りのものを食べてほしい。そのためにできることは何か...。
「自分が社員のお昼ごはんをつくろう」
そう思って始めたのが、週2回(ゴールデンウイークやお正月は1週間)の社長お手製お昼ごはんです。
状況が一ミリも変わらなくても、人は豊かに生きられる
いまもまだ、旅館経営は苦しい状態です。
でも、一つだけ分かったことがあります。
自分は何のために、誰のために、なぜ生きているのか、ということです。
多くの経営者は、経営の数字で頭がいっぱいです。私もそうです。
でも本当に重要なのは、生きる意味、人生の理念を見つけること。
それが見つかったとき、どんなに苦しい経営状態であっても、状況が何一つ変わらなくても、心豊かに生きられる。そのことに、いまさらながら気がつきました。
気づきを得た60歳の私が、どんなふうに変わっていくのか。
これからのコラムで、それをお伝えしようと思っています。